天才という言葉で現実から目を背けるな
こんにちは!ポラリスアカデミア代表の吉村です。
本日のコラムはよく聞く『天才』という言葉をぶった切るような内容になっています。
皆さんの周りに天才はいますか?また、この人は天才だ!と思う有名人はいますか?
「毎回学年一位のあいつは天才だ!流石に敵わない…」
「〇〇ってほんと天才だよねっ。」
「やっぱり大谷翔平は本物の天才だ!」
こういう話を聞くと、どうしても「うーーーん…」と思ってしまう私がいます。
なんでかと言うと、極論、私は天才なんていないと思っているからです。天才とは「こいつには勝てない!」と途中で戦うことを諦めた人たちが言う一種の自己防衛の言葉だと思っているからです。
勉強に例えて言うと、
おし!勉強頑張っていい点取るぞ!→本気で勉強→でも毎回敵わない友達がいる→そうか、〇〇と僕とでは頭の出来が違うんだ→〇〇は天才だ!
みたいな感じですね。
「毎回敵わない友達がいる」の後に「ならもっと頑張るぞ!」とか「1回やり方を見直してみよう!」といった言葉が出てくる人はまだ負けを認めていないと言えます。
ただ、「そうか、〇〇と僕とでは頭の出来が違うんだ」みたいな生まれ持った力のせいにするのは自分の成長に悪ですし、何より自分よりも頑張っているその友達に失礼ですよね。
私も中学校の時は学年1位だったので、よく友達から「天才やな!」なんて言われてましたけど全く嬉しくなかったですし、「どれだけ勉強してるかも知らないのに生まれ持った才能みたいに言うなよ」としか思ってませんでした。
「そんなこと言ってるからそれ以上点数伸びひんねんで」と内心思っていました。言いませんでしたけど。
なので”天才”というフレーズは、圧倒的な力の差を見せつけられた時に自分の努力不足から目を背け、自己肯定感や自己効力感といったメンタルを守るために無意識的に行われる自己防衛反応だと言えます。
これが良い悪いは人それぞれです。別にみんながみんな東大理三A判定の受験生と競う必要はありませんし、自分の目標よりも遥か上の大学を目指す人たちのことは天才を区切ってしまうのも1つのテクニックだと思います。
自分が勝たないといけない層の受験生に勝てば志望校は合格なので、割り切ってしまうのも一つだなと。
でも、個人的には天才なんて言葉は使わないで欲しいなと思います。言い過ぎかもしれませんが、天才というフレーズは努力に対する冒涜な気がしてなりませんし、そして何よりも自分の可能性に自分で蓋をしてしまっている訳ですからね。
皆さんの可能性は無限大です。伸びしろMaxです。なのに自分で制限をかけるなんてことしないでくださいね。成長できる所まで成長してやりましょう。
今回のコラムは以上です!
次回もお楽しみに!